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ジェネラル・スタッド・ブック -5話-
サラブレッドは、早く足ることを目的に改良されました。よって、自然界にはサラブレッドを定義するものがありません。サラブレッドは人が定義しました。
ローマ帝国に支配される前から、イギリスでは馬の競争が行われていました。その時すでに、中東の馬が優秀であることに気づいていました。
そして、イギリスが国力を持ち始めたのが11世紀で、ようやく、中東の馬を輸入することが出来るようになりました。
その後、イギリス人は各個人の経験をもとに馬の改良を重ね、速い馬を作ることを繰り返してきました。その頃は血統など関係なく、改良が繰り返されました。
イギリスがさらに国力をあげ、植民地を増やす時代となり、さらに輸入は活発になり、豊かになったイギリス国王も多くの道楽を行うことになりました。
その1つが競馬だったんです。国民も豊かになり、裕福な人が増えるとその人たちもまた競馬に夢中になりました。
そうなると、誰の馬よりも早く走る馬が欲しくなり、お金に糸目をつけない富豪も沢山でてきました。
改良は独自に行われ、それはすべて記憶としてそれぞれの馬産農家に受け継がれるだけのものでした。
徐々に記録に残す事を行う人も出てきたが、あくまでも個人的なものでした。
その後、英国サラブレッド血統書「ジェネラル・スタッド・ブック」を作ろうという気運が生まれ、それに取り組んだのが、ジェームズ・ウェザビーであった。
彼はそうとう苦労したようだ、特に牝馬については名前が曖昧で、場合によっては途中で変わることもあったようで、さらに混乱した。また、不正な血統記録もあったようだ。
他にも情報をくれない人や辻褄が合わない記録もあった。その中でようやく、1791年に序巻のジェネラル・スタッド・ブックが発行されました。
これにはサラブレッドという言葉は出てきません。サラブレッドという言葉がいつ出てきたのかは諸説ありますが、18世紀終わりごろと言われています。
上流階級のエリートを示す馬として、呼ばれ始めたそうです。
ジェームズ・ウェザビーがジェネラル・スタッド・ブックサラブレッドと記しさなかったのは、血統が間違っていた場合を考えての事だと言われています。
案の定、発刊後、多くの意見、情報、苦情が寄せられて、何度も改訂版を発行しました。
血統をまとめることに反対だった人たちも、この本の良さを理解しはじめ、さらにまとめられたジェネラル・スタッド・ブックへと変貌したのだった。
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