種牡馬ネアルコ -12話-

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前話の復習

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種牡馬ネアルコ -12話-

 現役を引退したネアルコはさらに種牡馬として大きな功績を残す事になる。ネアルコの曽祖父にあたるファラリスはこのネアルコの子孫も含め多くの血を引き継ぐこととなる。

 ファラリス産駒から、ネアルコ以外にもネイティブダンサー(1950年誕生)が誕生するが、ネアルコの影響は偉大なものであった。

1939年に供用(種牡馬生活)を始めたネアルコはドイツの空襲で防空壕に避難したり、種付けシーズンが終わると北部の片田舎に疎開したこともあった。

だが、戦勝国のイギリスに移ったおかげで、大きな戦火を免れることが出来た。

そして、戦時中でレースが少なかったが、ネアルコの初産駒は計17勝をあげ、種牡馬ランキング4位(首位はハイペリオン)となった。

その中には、後にネアルコの血を全世界に広げるナスルーラがいた。

 ネアルコの子にはナスルーラ(1940年)、ロイヤルチャージャー(1942年)、二アークテック(1954年)が誕生する。

二アークテックはノーザンダンサーの父である。さらに後に、日本で大旋風を巻き起こす、ノーザンテースト(1971年)、サンデーサイレンス(1986年)もネアルコの子孫である。

 ネアルコは15年連続でイギリスの種牡馬ランキングベスト10に入り、1947年~1949年の3年連続でリーディングサイヤーとなる。

そして、1957年7月ネアルコはこの世を去る。その時すでに産駒の種牡馬は世界中に80頭以上もいた。

このスピードがネアルコの血の威力であり、猛スピードでサラブレッドの血統を塗り替えていったことを物語っている。

 血統の話をするときに~系とよく言われる。

ネアルコ自身はエクリプス系であるが、ネアルコで一区切りして、ナスルーラー系、ロイヤルチャージャー系、ノーザンダンサー系という人もいる。

エクリプス系以外ではマッチェム系、ヘドロ系などのネアルコとは異なる系統も存在することは参考までに付け加えておく。

日本においてはヘドロ系が流行った時代もあったが、それは別の機会に説明しよう。

 私は競馬の魅力に取りつかれて、多くの本を読みました。その中で、ネアルコが現代の競馬に最も影響を残した馬であったと私は思う。

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