前話の復習
ジャージー規則の崩壊 -14話-
イギリスはジャージー規則のより、自国の馬を守ろうとしたが、結局は自国の馬を崩壊へと導くことになる。サラブレッドは狭い世界の動物である。
人は強い馬を追い求め、強い馬の遺伝を信じ、競争成績はもちろん、血統の優れた馬に群がる。そのため、種牡馬については産駒(子供)が実績を残した牡馬をに群がる。
さすがに牝馬は、1年に一頭しか産めないので、バラけるが、その牝馬の父親もまた、多くの牝馬と重なることになる。
遺伝については馬だけでなく、多くの説がある。優秀な親から優秀な子が生まれる可能性が高いとされるが、それを追求すると、血が濃くなる。
はるか昔から、近親配合には大きなリスクが発生することは承知されていた。
馬の世界においても、血が濃くなると、その血統は衰退し、時として傍流血統(雑草血統)が名馬を生み出すアクセントになる。フェデリコ・テシオもそう考え、ネアルコを誕生させた。
ジャージー規則はこの考えに反することになり、結局、イギリス産馬は衰退した。そして、1930年、フランスで、トウルビヨンが種牡馬として大成功する。
トウルビヨンも、血統不詳でりジャージー規則により、イギリスから締め出されたが、産駒がイギリスに遠征し、また、後継種牡馬のジェベルも大成功し、さらにイギリスへの侵略を始めた。
これらの産駒はイギリスではサラブレッド系種としての扱いとされ、出走していたが、ジャージー規則により、イギリスでは繁殖馬としての共用はされなかった。
しかし、さらに血統不詳を問題としないフランス馬が力をつけてきたことにより、1949年、とうとう、イギリスはジャージー規則を廃止することになる。
36年間のイギリスの馬鎖国は崩壊した。競走馬の血統については、流行りと衰退が繰り返される。ある血統が衰退すると、他の血統、特に雑草血統が台頭する。
イギリスのジャージー規則の崩壊は、なるべくしてなった結果だったのである。
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