ネイティヴダンサー -16話-

競走馬の足跡~世界の競馬~
競走馬の足跡
スポンサーリンク

日本競馬のサラ系 -15話-
 サラ系という言葉は、意識をしていないと気が付かないが、サラ(サラブレッド)とは違う。今はほとんどの馬がサラブレッドだが、私が子供のころはサラ系の競争馬が沢山いた。今思うと、混乱の時代の爪痕が、私の生きた時代にも食い込んでいたいのだ...

 ネイティヴダンサー(1950年誕生)について少し触れておこう。ネイティヴダンサーは後にノーザンダンサーというカナダ産名馬の母父となる。ノーザンダンサーにつていは後に話をするが、私がネイティヴダンサーの資料を見た時に驚いたのが、母がGeisha(ゲイシャ)、母の母がMiyako(ミヤコ)だという事だった。いくつかのエピソードもあり、Geishaは芸者、Miyakoは都または人名から来ているのだろうとされている。Miyakoは1930年に誕生、Geishaは1943年に誕生している。Geishaは第二次大戦中の生まれとなるが、日本語名を付けた人に、敬意を表したい。また、Geishaの孫にはキモノ(着物)という馬もいたようだ。なかなか洒落た人である。これを読むんだとき、ネイティブダンサーにかなりの親近感を覚えた事を今でも覚えている。

 一方、ネイティヴダンサーの戦績というと、これまたすごい。3才終了時点で9連勝。アメリカ三歳チャンピオンになり、古馬を含めた年度代表馬にもなった実力である。生涯成績は22戦21勝と圧倒的な強さだったが、唯一負けたのが、ケンタッキーダービーだったのが、皮肉である。しかし逆に、ダービーを制する難しさを物語っている。

 強い馬にはよくニックネームがつけられるが、ネイティブダンサーは「灰色の幽霊」とよばれた。これにはモノクロテレビの普及が大きく影響している。ネイティブダンサーは芦毛の馬体で、白黒テレビに映えたようである。日本においてはネイティブダンサーの孫にあたるオグリキャップが芦毛で有名になった。

 このように、競馬の世界において、歴史の中で、日本と世界は少しづつ繋がっていく、これが競馬の楽しみであり、スケールの大きさであると私は実感している。

エドワード・プランケット・テイラー -17話-
 エドワード・プランケット・テイラーはフェデリコ・テシオと並ぶ世界的名馬を生み出した馬産家である。テシオは競馬傍流国のイタリアで名馬ネアルコを誕生させたが、テイラーも同じく競馬傍流国のカナダで名馬ノーザンダンサーを生み出した。ノーザンダ...

コメント

タイトルとURLをコピーしました