ノーザンダンサーの遺伝力 -20話-

競走馬の足跡~世界の競馬~
競走馬の足跡
スポンサーリンク

売れ残りノーザンダンサーの戦績 -19話-
 ノーザンダンサーの生涯成績は18戦14勝と4敗しているところが勿体ない。しかし、勝ち方は圧倒的で、初戦は2着に7馬身差、カナダ最大の2歳戦であるコロネーションフューチュリティを6馬身差、アメリカにわたり、アメリカ三冠の初戦ケンタッ...

 3歳で引退したノーザンダンサーは種牡馬として大活躍しましたが、初年度の種付け料は1万ドルと戦績の割に、高額にはなりませんでした。当時世界ではネアルコの血脈を受けつぐ主流はナスルーラ系であり、アメリカではその血を受け継いだボールドルーラー系が全盛期でした。同じネアルコの血を受け継ぐ、二アークテックは傍流でした。また、ノーザンダンサーはネイティブダンサーの血も入っていましたが、カナダ産馬であったこともあり、アメリカ人からは敬遠されました。しかし、この状況を大きく変えたのが、二年目の産駒のニジンスキーでした。ニジンスキーは圧倒的な強さで、イギリス三冠馬となりました。

 ニジンスキーに続き、リファール、サドラーズウェルズ、ダンジグ、ヌレイエフなど次々と活躍し、ノーザンダンサー産駒の勢いが止まらなくなりました。そして、いくつかの伝説も出来ました。1978年のせりで、ヌレイエフは130万ドルで落札、1979年のせりで、ストームバードは100万ドル落札、1985年のアメリカの二歳せりで、ニジンスキー産駒(後のシアトルダンサー)が1310万ドルで落札されました。

 ストームバードは欧州三歳チャンピオンの実績だけで、3000万ドルのシンジケートが組まれ、ヌレイエフは目立った戦績を残さないまま引退したにもかかわらず、1000万ドルのシンジケートが組まれました。完全に血統に群がるお金となったのです。しかし、ヌレイエフは種牡馬となって大成功をおさめました。これがノーザンダンサーの遺伝力と言えるでしょう。シンジケートについては後で説明しましょう。

 ノーザンダンサーの種付け料は1965年に1万ドルだったのが、1985年には95万ドルとなりました。そして、ノーザンダンサー産駒が日本でも大活躍することになります。世界的に見て、競走馬の血統を語る上で、最も重要な競走馬はネアルコとノーザンダンサーであるといえるでしょう。

マルセル・ブーサックとアメリカ雑種血統 -21話-
 900年以上前から東洋種の馬の能力が高いことが知られていた。そして、300年ほど前にイギリスを中心とした西洋が世界の権力を握り始めたころ、積極的に東洋種が西洋に流れ込んだ。そして、1791年ジェネラルスタッドブックの発行により、突...

コメント

タイトルとURLをコピーしました