前話の復習
ノーザンダンサーの遺伝力 -20話-
3歳で引退したノーザンダンサーは種牡馬として大活躍しましたが、初年度の種付け料は1万ドルと戦績の割に、高額にはなりませんでした。
当時世界ではネアルコの血脈を受けつぐ主流はナスルーラ系であり、アメリカではその血を受け継いだボールドルーラー系が全盛期でした。
同じネアルコの血を受け継ぐ、二アークテックは傍流でした。
また、ノーザンダンサーはネイティブダンサーの血も入っていましたが、カナダ産馬であったこともあり、アメリカ人からは敬遠されました。
しかし、この状況を大きく変えたのが、二年目の産駒のニジンスキーでした。ニジンスキーは圧倒的な強さで、イギリス三冠馬となりました。
ニジンスキーに続き、リファール、サドラーズウェルズ、ダンジグ、ヌレイエフなど次々と活躍し、ノーザンダンサー産駒の勢いが止まらなくなりました。
そして、いくつかの伝説も出来ました。1978年のせりで、ヌレイエフは130万ドルで落札、1979年のせりで、ストームバードは100万ドル落札、1985年のアメリカの二歳せりで、ニジンスキー産駒(後のシアトルダンサー)が1310万ドルで落札されました。
ストームバードは欧州三歳チャンピオンの実績だけで、3000万ドルのシンジケートが組まれ、ヌレイエフは目立った戦績を残さないまま引退したにもかかわらず、1000万ドルのシンジケートが組まれました。
完全に血統に群がるお金となったのです。しかし、ヌレイエフは種牡馬となって大成功をおさめました。これがノーザンダンサーの遺伝力と言えるでしょう。シンジケートについては後で説明しましょう。
ノーザンダンサーの種付け料は1965年に1万ドルだったのが、1985年には95万ドルとなりました。そして、ノーザンダンサー産駒が日本でも大活躍することになります。
世界的に見て、競走馬の血統を語る上で、最も重要な競走馬はネアルコとノーザンダンサーであるといえるでしょう。
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