前話の復習
トウルビヨンとジャージー規則 -22話-
デュアリエの馬を30ほど購入したマルセル・ブーサックはすぐに結果を残す事だ出来た。購入した馬の中に、2歳牝馬のダーバンがいたからである。
ダーバンは強く、フランス最高の三歳戦として有名なヴェルメイユ賞を勝つ。
そして、このダーバンが10歳の時にトウルビヨンを産み、ブーサックは世界屈指の大生産者となり、フランスを新興サラブレッド王国までに押し上げた。
ブーサックは仏ダービー12回、凱旋門賞6回、仏オークス5回を制せるなどフランスで圧倒的な強さを誇り、イギリスでは英ダービー、英2000ギニー、英セントレジャー、英オークスといった伝統大レースも制覇した。
その中でトウルビヨン産駒は猛威を振るった。トウルビヨンは仏ダービーを征したが、超一流の競争成績を残したわけではなかったが、種牡馬として大きく活躍したのだった。
この活躍のにはイギリスがジャージー規則で排除した雑種血統の影響があったと言わざるを得ない。
まず、トウルビヨンの母ダーバンの父ダーバーは英ダービーを勝ったが、ダーバーの母系は英血統書第一巻に記載がない血統で、ダーバンの母系にもアメリカに渡った血統不詳のアイリッシュラッドという種牡馬もいた。
なので、ダーバンから生まれたトウルビヨンにはイギリスがサラブレッドとして認めなかった雑種血統の血が受け継がれていた。
皮肉にもイギリスがジャージー規則にて排除した雑種血統であるトウルビヨン産駒がイギリス伝統レースを次々と制していった。
その頃イギリスでは雑種血統を認めるかどうか、ジャージー規則の撤廃が議論され始めていた。ジャージー規則がイギリス産馬の衰退を招いていることに気が付いたのだ。
そして、1949年、ついにイギリスはジャージー規則を廃止した。トウルビヨンがイギリスの特権階級意識を崩壊させたのだった。
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