前話の復習
ハンデキャップ制度を作ったラウス卿 -40話-
ハンデキャップとは何のために採用されたのか考えてみましょう。古くは成熟馬による長距離レースが主体でしたが、時代とともにレースに出場する馬の年齢が若くなりました。
そのため、馬の成熟度による差を考える必要が出てきました。競馬は、馬の性別、年齢、実力のバランスを考えてレースを行います。
例えば、現在の日本のJRAのレースなら、馬齢重量、別定、定量、ハンデキャップなどがあります。詳しくは、別の章でご紹介します。
このハンデについては19世紀半ばになって確立し始めます。まず、馬の年齢ですが、1月1日をもって、公式誕生日としました。実際は生まれた月日が誕生日なのですが便宜上揃えました。
すると何が起きるかというと、特に若い年齢の馬での成熟度が変わります。同じ2才でも生まれ月が2ヶ月違えば、成熟度がかなりの差となります。
また、性別でも能力の差がでますし、そもそも能力の違いがあってはレースによっては実力馬が勝つために弱い馬を相手にすることも考えられます。
そこで、負担重量が採用されたのですが、ハンデキャップを決めるということは簡単ではありません。馬主は少しでも軽くしたいし、不正の横行にもつながります。
そこで、1855年に馬齢重量制のシステムが出来ました。ジョッキークラブの会長であり、公式ハンデキャップ作成委員でもあるラウス卿によって考案されました。
ハンデキャップの作成には技術や知識より、公正さや誠実さが求められました。その意味ではラウス卿は適任でした。
競馬においては派手なふるまいをする人が多い中、ラウス卿は少額な掛け金額による競馬を推奨する庶民的な競馬を求める考えをしており堅実な人格でした。
調教される馬を観察し、出走状態も確認、すべてのレースを見て能力を発揮した馬、出来なかった馬も調べ情報を整理しました。
馬齢重量制は1873年に修正され、その後もジョッキークラブによって改定されています。これによって、ラウス卿個人の見解ではなく、公式の見解となっていったのです。
これによりジョッキークラブの権威はさらに高まりました。
イギリスから世界へ -40話-
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