前話の復習
競馬の本質 -27話-
イギリスで、チェスター競馬場、ニューマーケット競馬場が出来たころ、イギリスの競走馬のレベルはというと、実は最高峰ではありませんでした。
この頃、ヨーロッパの中心はハプスブルク帝国(神聖ローマ帝国)であり、イギリスの馬はハプスブルク帝国の馬である芦毛のリピッツァナー種やトラケナー種にはかないませんでした。
これらの馬はアンダルシア馬やアラブ馬を配合して作られました。遡れば16世紀ごろからポーランドではアラブ馬が集められていました。
イギリスとは異なり、大陸では速度と持久力がある能力が高い馬が生産されていました。18世紀までイギリスは馬産に対して後進国だったのです。
その中で、以前に話したようにヘンリー八世はイギリスの馬の輸入計画を重視したのです。
文明が進み、戦争で火器が多く使われるようになったのをきっかけに、俊敏さを重視した軽種馬が注目されはじめました。このような軍事目的で馬の改良が繰り返されました。
そして、優れた競技成績を残した馬が次世代の馬を残すためにますます重宝されることとなり、馬の「瞬発力」「スピード」「持久力」、これらの能力を高めることが求められたのです。
徐々に今の競馬の姿が見え始めてきました。現代では軍事目的で馬を改良することは無くなりましたが、根底にはこのような背景があり、「娯楽」と「軍事」の両輪で馬の改良は歴史の中で加速していくのです。
さらに加えると、馬は人にとって娯楽と強さをもたらすもので、王室に入る花嫁の持参金の一部や贈り物として馬が使われていました。
優秀な馬にはそれだけの価値があるということです。すると、馬産家は優秀な馬を生産すること、競技で勝てる馬を生産すること、そして、その競技には競馬が使われていたことが、競馬が始まる理由だったと私は認識しています。
競馬は人の歴史の中で自然と発生し、今は「娯楽」だけが残り行われているのです。これが競馬の本質だと、私の中でたどり着きました。
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