橋利壮太(はしり・そうた)、現在45才の普通のサラリーマン。
始めに言っておきますが、壮太の名前を”走りそうだ”と揶揄(やゆ)するのは止めてください。
走るには走りますが、それほど走りません。ゆるラン(ゆるいランニング)です。
とりえのない学生時代
野球部時代
中学生の頃、野球部でなぜかひたすら走らされていた。壮太は野球は上手くないのですが、走ることだけは100人以上いた部員の中で、5番目ぐらい。
野球の上手さが5番目なら、十分レギュラーになれるのですが、走る速さと野球の上手さは比例しない。これは壮太の経験から間違いなく言える事である。
三年生の春に背番号13番の友達が親の都合で引越して、背番号がなかった壮太のところに、背番号13番が回ってきた。
とりあえず、背番号がもらえた事は運が良かったと言うしかない。中学生最後の大会も特に打席に立つこともなく、試合の決着がついた終盤にレフトを守ったぐらいだった。
ちなみに、ボールは飛んでこなかった。
昔とは違う自分に気づく
壮太は高校生になると、何の部活動にも入らず、のんびり学校と家の往復をしていた。勉強ができた方ではないので、高校3年生の夏には大学に行くために、人生で一番勉強していた。
得意科目に絞って勉強したことが良かったのだろう、家から通える大学に入学できたので、壮太の両親は喜んでいた。
何のために勉強したのかと聞かれると、自分をここまで育ててくれた両親の期待に応えたかったからだと答えるのが壮太にとっては素直な答えだが、
それでは、あまりいい人過ぎるので、この事は誰にも言ったことがない。
大学時代はひたすらアルバイトをする学生でしたが、壮太は4年生の夏にマラソンと1度目の出会いをした。
大学4年生で運動もせずにアルバイトばかりしていると、野球部の頃の体とは全く違う体型になっていた。
気が付くのが遅いくらいだ。身長(175cm)はそれほど変わっていないのに、何年かぶりに体重計に乗ると80kg近くになっていた。
驚いたのは、つま先立ちが出来なかった事だ!
家の階段を上るだけでも、息が切れていた。
さすがにこれでは・・・。
と、壮太は中学生の頃を思い出し、ランニングすることを考えた。さていつから走るか・・・。
走り始めるまで、2,3か月かかったと思う。
1回目のランニングとの出会い
人生初のランニング開始!
ある日、ようやく、走り始めたのですが、全く体が動かない!
200mほど走って、歩きいていた。
壮太が走ろうとしていたのは、近くにある城周辺の歩道だったが、その城まで走ることができなくて、
何とも情けない話だが、これが現実で、受け止めるしかなかった。
10年前、あんなに早く走っていたのに・・・と過去の小さな栄光を思い出す。
運が良かったのは、これで走ることを止めなかったことだ。
それから、大学とアルバイトの日々の中で、週に2回ほどランニングを始めることにして、秋になると、走る距離も伸びてきて、10kmぐらいは走れるようになっていた。
20代の体の若さを感じる。
動かなかった体が数か月で10kmまで走れるようになるのは45才の今では絶対に無理。
その頃、偶然にも大学のゼミで地元のハーフマラソンの大会に挑戦してみようと誰かが言い始めると、壮太も含め10人ほどが参加することになった。全員マラソン未経験者である。
壮太は深く考えず、目標はキロ5分で、1時間45分ぐらいで完走しようと、その当日を迎えた。
人生初のハーフマラソン
キロ5分というと、20代の若者にとって、それほど高いハードルではなく、日ごろの練習で10kmをキロ5分で走っていた壮太は、かるく考えて大会に臨んだ。
コースは山に向かって走り、帰ってくるコース。前半はなだらかに上り続け、後半はなだらかに下り続ける。
走りやすいコースである。
しかし、キロ5分で刻んでいくと、折り返すまでの前半に体力を全て出し切った壮太は折り返してから下り坂だったが、徐々にペースが落ちていく・・・。
なんだ!?これは!と、いつの間にか自問自答が始まる。
とりあえず、走り続けよう・・・。
前半のタイム貯金はあっという間に使い切り、キロ5分どころか、ペースはキロ6分を超えていた。
今でも覚えているのは18kmで、もうだめだ・・・と泣きそうなくらいに苦しんでいた事だ。
しかも、ものすごい空腹が追い打ちをかける。マラソンってお腹減るんだ~。腹減った~。
なんだ、これは、何なんだ、これは、・・・と訳が分からない状態で走り続け、
歩く方が早いんじゃないかと思うほどの足取りでゴールを目指していた。
ヘトヘトになって何とかゴールしたのが、壮太のはじめてのマラソン大会でした。
完走タイムは確か、1時間54分ぐらいだったような、今では記録証すら残っていない。
とにもかくにも、これが壮太とマラソンの出会いだった。
ちなみに、壮太が苦しい時に何を心の支えにして走っていたのかというと、その時にお付き合いをしていた彼女の晴美の事。
ゴールしたら晴美に会えると、晴美の顔を思い出しながらゴールを目指した。
実際はというと・・・、晴美は壮太の雄姿を見に来ておらず、壮太は妄想を心の支えに走っていたのだ。
ゴールした時には先にゴールしたゼミの仲間が、出迎えてくれました。
仲間って、いいものだなー。と、感想と仲間の有難さに感動していた。
その後、大学を卒業して、社会人となり、ごく普通のサラリーマンの道を走ることになりました。
あれから約20年、再び走り始める事になるとは、当時の壮太には全く想像できなかった。

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