イギリスから世界へ -41話-

競走馬の足跡~世界の競馬~
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前話の復習

ハンデキャップ制度を作ったラウス卿 -40話-
競馬においてハンデキャップは非常に繊細なものです。負担重量でレースの結果も変わります。19世紀半ばに馬齢重量制を作ったのがラウス卿でした。

イギリスから世界へ -41話-

この章では、イギリス競馬の歴史をご紹介してきました。

19世紀になると、イギリスの競馬を手本にして、フランス、アイルランド、イタリア、ドイツ、アメリカ、カナダなど各国で競馬が開催されました。

イギリスに追いつくために各国で勝利を収めた馬や馬主はイギリスを目指しました。

特に、アメリカは歴史的な背景もありイギリスの影響を受け、南米においてもヨーロッパ各国の影響を受けて競馬は浸透していきます。

フランスは打倒イギリスが明確で、ドイツは独自路線を走ります。競馬はその国の人々の考え方で様相も変わります。そして、世界に広がりつつあった競馬にも多様な時代がやってくるのです。

イギリスはこれらの国々からの使者を受け入れ、正々堂々戦い続けました。後に、閉鎖的なジャージー規則を設けましたりもしましたが、それは自国の馬産を守るための手段でした。

しかし、人の手で決められたサラブレッドは両刃の剣でもありました。自国を守ろうとしたイギリスは、ジャージ規則を廃止することになります。

結果的に競馬はオープンであることが必要なのです。そのことを19世紀以降の競馬の歴史が物語っています。

19世紀の中ごろになると、各国で強い馬が登場し、イギリスの大きなレースを勝つの馬も出てきました。時にはイギリスの人々を歓喜の渦に巻き込んだり、逆に、悲壮感を与えたりもしました。

イギリスを中心に書いてきたこの章ですが、もう一度、世界に目を向けてみましょう。

 

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