前話の復習
大革命を起こした名馬ネアルコ -11話-
1935年、天才馬産家フェデリコ・テシオによりネアルコはイタリアで誕生した。血統を見ると父ファロスはセイントサイモンの3×4、母父のアヴルザックもセイントサイモンの2×3である。
なので、ネアルコの血の3/16(=18.75%)はセイントサイモンの血と言える。実はこの18.75%は神の配合と呼ばれる比率である。
セイントサイモンについて話をすると、1881年イギリスで生まれた名馬で10戦不敗の戦績を持つ。
最終レースでは2着馬に20馬身差をつけての勝利だった。だから当時、セイントサイモンの再来をテシオ以外の馬産家も追いかけていた。
ネアルコは出走以来、7連勝で、さらに伊2000ギニーで6馬身差、伊ダービーでも大差で圧勝した。古馬相手に戦った当時イタリアの最大レースであるミラノ大賞も勝利した。
イタリアで敵なしとなったネアルコはフランスに遠征し、パリ大賞に勝利する。出走馬には英ダービー馬ボアセル、仏ダービー馬シラ、仏オークス馬フェリーがいた。
低レベルと言われていたイタリア産馬の大活躍にイギリス人も「セイントサイモンの再来だ!!」と叫んだ。
パリ大賞の4日後にテシオはネアルコを売却することになった。背景にはイタリアの政情不安と急速に忍び寄る不穏な世界情勢があった。
ネアルコは6万ポンドで史上最高額でイギリスのブックメーカーと牧場を経営するマーチン・ベンソン氏に売却された。そのため、ネアルコはイタリアに帰ることなくイギリスへと向かった。
このテシオの判断は正しかった。イタリアはその後、ドイツと同盟を結び第2次世界大戦へと進んでいく。
もし、ネアルコがイタリアに帰っていたらこの大戦に巻き込まれていたことは間違いなかった。
また、イタリアにはネアルコに見合う繁殖牝馬が少なかった。サラブレッドの歴史が大きく変わるテシオの判断であった。
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