前話の復習
ブックメーカーの誕生 -39話-
競馬においてレース形態を確立させることは、馬主にとっても、馬産家にとっても明確な目標ができ、好都合でした。
しかし、繁栄を見せた競馬でしたが、庶民に広がるにつれ、不正も横行することになります。特にお金を賭けるという要素は人を不正の道に誘います。
18世紀では馬主である貴族やその近親者がお互いの出走馬の勝利を賭けることが多かったのです。多くの競馬場が出来、レースも開催されると馬を持たない庶民にも賭け者が増えてきました。
しかし、その人たちには情報が少なく予想は大変難しいものでした。さらに、彼らが賭けるにはそれを取り仕切る者が必要となります。
ニューマーケット競馬場ではあるレースの特定の馬が勝つ確率を定め、賭ける側にオッズ(掛け率)を提示することが行われました。
オッズは変動します。情報伝達屋(ティックタックマン)が身振り手振りの合図で情報を知らせます。このような賭け事の取り仕切り屋は後に、ブックメーカーと呼ばれました。
はじめは、上級階級の者が客として多かったのですが、徐々に低所得者たちも増えていきました。1818年にはの常設の賭け場(リング)が登場しまた。
侯爵や一般人、ならず者まで賭け場に集まります。しかし、このような場ができると、不正の暗躍も出てきます。
馬に毒を盛ったり、騎手を買収したりと競馬が繁栄しだすと、動くお金も大きくなり、組織ぐるみな手法を含めて、色々な手を使うものが現れていきます。
賭け師は人からお金を預かり、当たれば、オッズの倍率で賭けた人にお金を返します。
賭け師主導になるこの手法では賭け師が有利で、賭け師が自分が儲けるために不正を行うこともあり、不正な賭け師になる人も増えたようです。
このような横行もあり競馬への批判は高まりましたが、ジョッキークラブは賭けに関与しませんでした。レースそのものの成立がジョッキークラブの最大の目的だったからです。
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