5大クラシックの誕生 -38話-

競走馬の足跡~世界の競馬~

前話の復習

セントレジャーステークスの誕生 -37話-
18世紀後半、アンソニー・セントレジャー大佐が3歳馬による2マイルレースを提案。現在のセントレジャーステークスが始まります。日本でも開催されている菊花賞の原型です。
スポンサーリンク

5大クラシックの誕生 -38話-

第9話でもダービーとオークスについて紹介しました。ダービーが出来てからオークスが出来たように思われますが、歴史的にはオークスが先にできました。

競馬一筋のバンベリー卿の親友に競馬好きのダービー卿(12代目)がいました。彼は叔父からエプソム競馬場の近くで宿舎を改装したオークス館(オークスとは樫のこと)を譲り受けていました。

ダービー卿は賭博好きで、ある時酒宴の場で、3歳の牝馬による1マイル半(2,400m)のレースをエプソム競馬場で行うことを決意しました。

セントレジャー大佐のセントレジャーステークスに刺激を受けたことは間違いありません。1779年にオークスが誕生しました。第1回のオークスではダービー卿所有馬のブリジッドが勝利しました。

この祝賀会で、翌年に3歳の牡馬牝馬を含めた1マイル(1,600m)のレースを行おうと盛り上がりました。そのレースの名前はダービー卿とバンベリー卿がコインを投げて決めました。

このコインの勝負でこのレースの名前はダービーとなりました。歴史的レースの名前は祝賀会のコイントスで決められました。歴史とはそういうものかもしれません。

第1回ダービーを制したのは、皮肉にもバンベリー卿の所有馬ダイオメドでした。しかし、あまりの距離の短さに1784年の第5回から1マイル半(2,400m)に延長され現在に至っています。

19世紀に入ると、競馬の形は確立されていきます。その中で、ダービー、オークス、セントレジャーは3歳馬の3大レースとされました。

この後、ニューマケットで開催される1マイルの二千ギニー(1809年開催)と千ギニー(牝馬限定、1814年開催)を加えて、3歳馬の五大クラシック競走が出来上がります。

ギニーとはかつてイギリスで使われていた金貨で、二千ギニーとは優勝賞金から名づけられました。日本では、皐月賞が二千ギニー、桜花賞が千ギニーにあたります。

他の国のレースでは、〇〇ダービーや〇〇二千ギニーなど呼ばれてます。

スポンサーリンク

ブックメーカーの誕生 -39話-

ブックメーカーの誕生 -39話-
後にブックメーカーと呼ばれる賭けを取り仕切る賭け師が現れます。しかし、庶民にまで広まった競馬では不正が横行します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました