セントレジャーステークスの誕生 -37話-

競走馬の足跡~世界の競馬~
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前話の復習

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セントレジャーステークスの誕生 -37話-

ジョッキークラブの設立とともに、競馬の整備は進んでいきましたが、競馬にとって大切なことは、そこに観客がいることです。

競馬は人々の興味を引くことが必要です。さらに、そこにお金が絡むこと。そのためには人々が興味を引き、公正なレースが求められました。

これまでは5歳以上の成熟馬による4マイル(6400m)以上のレースを繰り返すヒート競走が主流でした。観客にとってはレースが決着するまで時間がかかりました。

そして、当時は実力が安定する8歳馬が最強であると考えられていましたので、馬主にとっても賞金を獲得するまで、時間がかかり負担が大きかったと考えられます。

そこで、18世紀後半から新しい競馬の理念が誕生しました。能力がまだ未知数の若駒を走らせ、1回のレースで決着する現在の形ができはじめます。

1779年9月、アンソニー・セントレジャー大佐はドンカスター競馬場で3歳馬による2マイルのレースを提案しました。

能力が未知数の若駒をこれまでの半分距離で競わせるのでした。これは、これまでにないスリルとスピード感があり、人々に受けれられました。

このレースは翌年も続けられ、翌々年の3年目に、セントレジャーステークスと命名されました。

現在、行われているクラッシクレースの1つが誕生しましたが、当時はこれほどまでに大レースになるとは思っていなかったでしょう。このレースは日本では菊花賞にあたるレースとなります。

五大クラシックの誕生 -38話-

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