前話の復習
天才馬産家フェデリコ・テシオ -10話-
これまでに多くのサラブレッドが生まれた。その中でも、歴史に大きな影響を与え、その名を残す馬がいる。その馬の1頭がネアルコである。
今となっては聞きなれない馬だが、競馬の世界史に大きな功績を残した。
ネアルコは父ファロス、母ノガラの間に生まれたイタリアの競走馬だ。馬主のフェデリコ・テシオも天才馬産家として歴史に名を残した。
テシオはイタリア陸軍の騎兵士官だったが馬主として、イタリアのマジョーレ湖畔に「ドメルロ牧場」を開いた。1898年、29才の時であった。
このドメルコ牧場が競馬史に残る名馬を誕生させたのだ。
そのころイタリアでは年間のサラブレッド生産頭数は300頭ほどだったが、テシオは伊ダービー馬22頭、伊セントレジャー(日本の菊花賞相当)馬を18頭、伊オークス馬を11頭も出す大変な記録を作った。
そして、テシオはイタリアを2流扱いにして、高を括るイギリスに乗り込むのであった。
ネアルコ誕生はドルメロ牧場を開いてから17年後の1915年のイギリスで行われた繁殖牝馬のセリに始まる。テシオはここで、キャットニプ(牝馬6歳)を格安で買った。
キャットニプは良血血統だったが、競争成績が10戦1勝と思わしくなく、馬体も小柄だった。そして、母系にアメリカ系雑種がいたために、他の者が敬遠した。
しかし、当時のイギリス人が嫌う雑種血統はサラブレッドの世界では時として爆発的な威力を発揮する。テシオはそこに着目した。
時は流れ、キャットニプ18歳で中級競走馬のアヴルザックとの間にノガラという牝馬が誕生した。キャットニプを購入して、12年後の事である。
ノガラは競走馬として大活躍した。伊2000ギニー(皐月賞相当)、伊1000ギニー(桜花賞相当)を含め16戦14勝という高成績を残し牡馬相手に強いレースをしたことから”女傑”とも呼ばれた。
そしてノガラは引退し、2年後、ファロスとの間に世界的名馬になる鹿毛のネアルコを生むのであった。そして、ネアルコがテシオの名をさらに世界に轟かせることになる。
(テシオの名言)
「一流馬の血統には、近い祖先にからなず一流のスピード馬がいる」
「流行血統を大金を出して買いあさるのは愚かなことだ」
(テシオの種牡馬選定)
3歳時に一流の成績を上げ、4歳のクラシックで良績を上げた馬を基本方針において、改良を加えていった。それこそが、早熟性とスピードの源泉になると考えていた。
競馬の世界では経済面も考慮する必要があるので、早く好成績を収める早熟性とスピードが求められるのである。資産が少ないテシオには最適な選択だったといえる。
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