売れ残りノーザンダンサーの戦績 -19話-

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前話の復習

ノーザンダンサーの血統 -18話-
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売れ残りノーザンダンサーの戦績 -19話-

 ノーザンダンサーの生涯成績は18戦14勝と4敗しているところが勿体ない。

しかし、勝ち方は圧倒的で、初戦は2着に7馬身差、カナダ最大の2歳戦であるコロネーションフューチュリティを6馬身差、

アメリカにわたり、アメリカ三冠の初戦ケンタッキーダービーでコースレコードの勝利(カナダ産馬初)、2戦目のプーリークネスステークスでも2馬身1/4差で勝利し2冠馬となった。

三冠の最後の3戦目プリークネスステークスでは3着と敗れ、三冠は逃したものの、カナダに戻り、クイーンズプレート(カナダのダービー相当)で、7馬身半差で勝利した。

しかし、その後、屈腱炎を発症し、3歳で引退。8月で引退したが、その年のカナダ年度代表馬、米国最優秀3歳牡馬に選ばれている。

 競走馬として、これだけの活躍をしたノーザンダンサー、そして、後に種牡馬として大成功を収めることになるノーザンダンサーは1歳の時、テイラーがカナダのせりに出したが、買い手がつかなかった売れ残りである。

原因は母親(ナタルマ)の引退時期が繁殖時期後半で、種付けが遅くなったことである。そのため、誕生が5月27日生まれと、競走馬にとっては遅い生まれとなり、1歳の時は小柄だったノーザンダンサーは誰の手にも渡らず、テイラーの手元に残った。

当然、テイラーもノーザンダンサーをせりに出したからには、後のノーザンダンサーの活躍を予想していなかったはずである。

 競走馬に限らない事だが、現代は過去の大小さまざまな出来事の組み立てで出来ている。特に競走馬においては、資料やデータがそろっているので、いろんな運命を感じることがある。

ノーザンダンサーがテイラーの元に残ったことから、ノーザンダンサーの偉大な歴史が始まった。そして、我が国、日本もノーザンダンサーの影響を大きく受けることになる。

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