前話の復習
馬は国力であり軍事力 -24話-
競馬の歴史を振り返るときに、何処まで遡るか。と考えてみると、ヨーロッパ中心の世界史の中で、ギリシャが栄えた時代があり、ローマ帝国が栄えた時代、オスマン帝国が栄えた時代がある。
その中で、イギリスは世界の中心ではなかった。地図を見てもわかるように、イギリスは大陸から離れた孤島。
本格的に世界の主導権を握るのは、18世紀の後半(1750年以降と言ったところか)の産業革命の頃だ。
それまでは、長きにわたりローマ帝国がヨーロッパ全土を支配していた。ローマ帝国の規模は最大でイギリスまで広まり、のち東西に分かれた。
西は1世紀に滅び、その領域はゲルマン民族が、東ローマ帝国のもと統治したが、長きにわたって存続した東ローマ帝国も15世紀にはオスマン帝国によって滅ぼされてしまった。
このような、話をしたのは、競馬の歴史を語る上で重要なのは、常に馬が人の近くにいたことだ。
馬は初めは食用とされていたこともあるが、土地を開拓するために活躍し、そして、軍馬として使われた。人が馬にまたがり、馬を自在に操り、戦争で勝つことが、馬の使命となっていく。
古代ギリシャのオリンピックでは馬引きによる戦車競走もあったようだ。競技に使うということは、やはり優秀な馬を育てようということになる。それは、戦争に勝つための軍事力増強につながるのである。
そして、イギリスではローマ帝国に支配されていたこともあって、自国の馬より他国には優秀な馬がいることを知っていた。
しかし、すぐには入手することはできなかっただろう。調べてみるとアラブ馬の輸入の記録があるのは1121年となっていた。
そのきっかけは、十字軍の遠征のようだ。西アジアで素晴らしい馬を見たのだ。これが後にイギリス競馬へ進展きっかけなのである。
ちなみに、十字軍とは11世紀末から13世紀末まで、約200年間にわたって展開された、西ヨーロッパのキリスト教勢力による、西アジアのイスラム教圏などに向けての軍事活動である。
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